東京高等裁判所 昭和28年(う)1497号 判決
被告人 山菅正親
〔抄 録〕
論旨第一点、第二点及び第五点について。
原審並びに当審において取り調べた証拠に現われたところを綜合すれば、従来特定郵便局(元の三等郵便局)はその売さばいた郵便切手及び収入印紙についてはその郵便局長が割引歩合に相当する利益を収めていたものであるが、昭和二三年八月二五日以後はこの制度が廃止され、特定郵便局長は郵便切手収入印紙類の売さばきについては何等の利益をも収めることができなくなつたのである。しかし収入印紙等の売さばき人においては従前通り昭和二四年五月末日までは売渡郵便局から法定の割引額を差引いた金額で収入印紙(以下印紙と略称する)は百万円まで買受けることができ、又同年六月一日以降は印紙の売さばき高(最高百万円まで)に応じて法定の手数料の支払を受けているのであるところ、被告人は居住地近傍の印紙売さばき人において最高額の百万円(被告人はこれを枠と称している)まで売さばく者は皆無であつたことに目をつけ、被告人の女婿石田信夫をして高額の印紙を消費する日本勧業銀行その他東京方面の大会社銀行等から高額印紙の注文を取らせ、印紙売さばき人の承諾を得てその名義で特定郵便局から印紙を買受けこれを石田信夫をして注文者に売さばかせ、その間法定の割引歩合額相当の利益を収め或は法定の手数料を獲得しようと計画し、ここに大宮桜木町郵便局区内の印紙売さばき人に対しては被告人自から、大宮高砂郵便局区内の印紙売さばき人に対しては同郵便局の元局長で現局長の実兄である大野俊助をして、大宮宮町郵便局区内の印紙売さばき人に対しては当時同局長であつた波多野をして、片柳郵便局区内の印紙売さばき人に対しては同じく当時同局長であつた臼倉芳男をして夫々右枠の余つている分を使わせてくれと申し入れて印紙買受請求書に当該売さばき人の認印を押捺させ、これによつて桜木町局区内の分は被告人自身が、高砂局区内の分は大野俊助の、宮町局区内の分は波多野の、片柳局区内の分は臼倉芳男の手を通じ夫々該当売渡郵便局から原判示の如く印紙を買受けこれを石田信夫に交付し、同人がこれを注文先に売渡し、その間法定の割引を得てその額相当の利益を得 或は各売さばき人に対する法定の手数料の支払を受けてこれが利得をしたというのであり、各売さばき人も右買受売却手数料の受領を了承していたものである事実を認めることができるのである。(中略)而して右に認定した印紙売さばきの枠の余つている分を使わせてくれと申し込み、よつて売さばき人から印紙買受請求書にその押印をもらう行為が如何なる法律関係を構成するものであるかにつき按ずるに、これは被告人或は大野俟助等が当該印紙売さばき人の名義でこれに代つて売渡郵便局から印紙を買受け、これを売さばき人に代つて売却するということで、売さばき人の側から見れば、被告人等の独立行為によつて売さばき人が直接その買受売渡行為の効果を取得する即ち他人の行為によつて自己が権利義務を取得するということになるから帰するところ被告人等と売さばき人等との間には代理関係が成立するものと認めるべきものである。而して通常代理権限を授与した時は委任状が本人から代理人に交付されるけれども、これは勿論代理権限授与の証明方法であつて権限授与そのものについては何等の要式も必要としないのである。本件においては枠を使わせてもらう為に印紙買受請求書に押印してもらうこと自体が代理権限授与行為と認められる。原審は各売さばき人に告げてと判示し乍ら擅に形式上収入印紙を売渡局から売さばき人に売さばいたように書類を作成した旨認定しているところ、何を各売さばき人に告げたのか判文記載自体からは必ずしも明確でないが、本件証拠関係から考えれば売さばき人等に石田信夫が東京方面に売さばくものである旨を告げたという形跡は認められないので、印紙買受請求書等を作成することを告げたものと認められるが、そうだとすれば、これに対し反対の意思表示のあつたことが認められない限りこのような場合は一応これを承認したものと推定しうべきものである。しからばこれらの書類を作成することは被告人の擅の行為とはならないのである。要するに原審が認めるように代理権限授与の実体のない単なる代理を仮装した行為と認めるに足る証拠は存在しない。よつて被告人等は売さばき人の代理人として印紙を買受けてこれを売却し且つ手数料を受領したものと認めるのを相当とする。ところで一方「郵便切手類売さばき所及印紙売さばき所に関する法律」の規定を検討するのに、印紙売さばきの代理に関して何等積極的の規定は存在しない。又これを禁止する旨の規定も存在しない。しかし同法第一一条第二項には「法人の代表者又は法人若しくは人の代理人使用人その他の従業者がその法人又は人の業務に関し前項の違反行為(切手、印紙を定価で公平に売さばかないこと)をしたときは行為者を罰する外その法人又は人に対しても同項の刑を科する旨規定されていて、同法は少くとも代理人による売さばき行為の存することを予定しているものと解される。郵政省当局はこの代理は原判示の如く売さばき人の病気海外旅行等の長期不在等の已むを得ない特別事由で近親者等に委託して業務を執行する場合丈であつて、その他の場合は許されないものと解するが、同法を通読してもこのように狭い範囲の代理のみが認められその他の代理行為(例えば本件の如く全くの他人に委任する場合)は禁止されているものと解する何等の根拠も見出し得ない。又本件記録によつて売さばき人と郵便官署との間の印紙売さばき委任契約に売さばきについて代理を禁止する旨の条項が附されているものとは認められない。しからば、郵政省当局の希望するところは右のように狭い代理行為のみであつても、本件のような代理行為が行われた場合にこれをもつて違法無効のものとは認めることはできないのである。以上のとおりで本件印紙売さばきの代理行為が適法であるならばその前提である印紙の買受も亦適法な行為と認めなければならない。
果して印紙売さばき行為について、本件のような代理行為も違法でないならば、印紙売渡郵便局長が印紙売さばき人の代理人である被告人等に印紙を売却した行為は何等任務に違反する行為とは認められない結果となる。従つてこれに基づく手数料の支払は正当な行為である。尤も特定郵便局長も公務員であるから、公務員が本件のような営利行為を為すことは或は公務員の服務規律に反する行為となるかも知れない。しかしそれは公務員である身分上の制限に違背する行為であつて、背任罪の構成要件である任務に背く行為とはならないことは言うまでもない。又特定郵便局長が自己の局区内の印紙売さばき人の代理人となつて自己が局長である郵便局から印紙を購入する行為は所謂自己契約となるのであるが、民法第一〇八条によつて自己契約が禁止されているのは本人の利益保護の為このような代理行為を制限したものなのであるから、本人が許諾しているならば自己契約も亦有効と解すべきものであるところ、証拠によれば、被告人、波多野、臼倉芳男の三名が当時夫々特定郵便局長であつたことは本件各売さばき人は十分認識していてこれに印紙買受方を委託したものであることが認められるので右にいう本人の許諾のあつた場合に該当することは明らかである。のみならず本件は価額の一定した一定限度数量の印紙を購入するという単なる行為で格別本人に不測の不利益を与える危険は存しないのであるから、右買受は自己売買ではあるが有効な売買と認めるべきものである。
右のとおりであるから、原判決は法令の解釈を誤つた為事実を誤認し結局罪とならないものを有罪と認めた違法の存するものであり、この違法は勿論判決に影響を及ぼすものであるから論旨はいずれも理由があり、原判決は刑事訴訟法第三九七条に則り破棄すべきものとする。
註 原判決の認定した事実は「被告人は昭和七年九月二日から同二十四年九月三十日までの間埼玉県大宮市桜木町郵便局(特定局)の局長として、同局取扱の郵便業務一般を掌理し分任繰替払等出納官吏として同局払渡資金の出納保管並に切手類の元売さばき主任及び切手類管理主任として郵便切手、収入印紙等の売さばき及び保管等の業務に従事していたものであるが、昭和二十三年八月二十五日から切手類の売さばきについては特定局に対しいわゆる常備定額制度が実施され、同局において切手及び収入印紙を売さばいても従前のように同局長が割引歩合に相当する利益を収めることができなくなつたのに拘らず、印紙売さばき人にあつては同二十四年五月末日までは売渡郵便局から法定の割引歩合額を差引いた金額で収入印紙を買受けることができ、又同年六月一日からは印紙売さばき高に応じ売渡郵便局から法定の手数料の支払を受けることができる機構であつたところ、自己の女婿にして印紙売さばき人でない石田信夫をして購入先の日本勤業銀行その他東京方面の諸会社から収入印紙の注文を取らしめ、印紙売さばき人に告げて擅に形式上収入印紙を売渡郵便局から同局管下の印紙売さばき人に売さばいたように切手類買受請求書その他の関係書類を作成の上、収入印紙を同郵便局において受領しこれを右石田を通じて右購入先に交付し売さばく方法により前記法定の割引歩合額又は手数料に相当する金員を領得しようと企て、
第一、(一)大宮桜木町郵便局長としての任務に背き、自己、石田信夫及び同局管下の印紙売さばき人の利益を図る目的を以て、別表一、記載の通り、昭和二十三年九月十日頃から同二十四年十月一日頃までの間に二十二回に亘り大宮桜木町郵便局その他東京等において、前記方法により収入印紙の割引歩合額或は手数料名下に、合計五十六万三千九百二十九円二十銭を被告人石田信夫及び印紙売さばき人金子とり等において分配取得し以て国に対し財産上の損害を与え、以下省略)